「聖書を通したキリストとの出会いと人生の転換」(22歳 男性)

 

 現代の若者は夢が持てないとか、無気力、やりたい仕事がない、生きがいが持てない、そう感じている人は少なくないと思います。というのは私がそうだったからです。私は今22歳になりますが小、中、高と何不自由なく楽しい学校生活を送り、国立の大学に入学、順風満帆な人生を送っていました。しかし、大学生になり将来のことを真剣に考えるようになって一つの問題があることに気が付きました。「本気でやりたいことが何もない」のです。職業の選択は人生の中でもとても重要な問題だと私は考えていました。人生の中で仕事をしている時間はものすごい割合を占めているわけで、そんな膨大な時間を「やりたくない」ことに使うのはまっぴらごめんだ、と考えていたのです。それで本当に自分が全力で取り組みたいことを探したのですが、見つからずに大変悩みました。一流企業で高収入を得て家庭も築くという未来をイメージしてみたのですが、そこに何の幸せも見いだせなかったのです。大袈裟ですが、人生はなんてつまらないんだろう、、と思うようになり、友人との付き合いや、学生生活も一応は楽しいのですが、いつも心のどこかで虚しさのようなものがありました。私はクリスチャンホームで生まれたので、小さいころからキリスト教の事を知っていたし、信じてもいました。しかし、その信仰に全く疑問が無いかと言えば、そうではありませんでした。というのはクリスチャンが生活の基準とする「聖書」についてです。「聖書は誤りなき神の言葉」である、と教えられていました。クリスチャンにとって聖書こそが信仰の拠り所なわけです。けれども常識的に言えば、聖書といっても人間が書いたものであるし、何年も前に書かれたもので、「誤りのない」なんていうことはないだろう、と考えるのが自然です。理解できないことでも信じることはできるので、信じてはいましたが、心の深いところで納得できていませんでした。それでこのように祈っていました。

 

「神様、私は聖書が誤りの無い神の言葉だということを信じますが、正直よくわかりません。もし本当にそうならば、私にわかるように教えてください。」

 

 ある時、不思議な体験を通して神様は答えてくださいました。聖書の説明文のような特別何の感動も無いような箇所を読んでいた時のことです。突然、目から涙が溢れてきました。「あれ?」と思い、一旦落ち着こうと思っても、余計に溢れてきます。しまいには涙に加えて鼻水まで垂れてきます。私は戸惑いました。感動して泣くならわかるけれども、そんなこともないのに何故こんなことが起こるのだろう?そして気が付きました。「これは祈りの答えだ。」聖書は神様からのラブレターだとも言われます。この時、頭ではわからなくても、もっと深い所に神様が触れてくださっていることを感じました。聖書というものが本当に神の言葉であることを、まさに自分に分かるように教えてくださったのです。そこで祈りました。

 

 

「神様。私は今、聖書が確かにあなたの誤りの無い言葉であることを知りました。このことを心から受け入れます。」

 

 

 私にとって重要なことは、この不思議な体験をしたことよりも、この祈りをした後の変化です。この後、聖書を読むときにはいつも神様からの声が心に響くようになりました。本当の意味での「イエス・キリスト」との出会いを体験したのです。そしてこの神様の言葉は私の「やりたいことが何もない」という悩みをすっかり解決してしまいました。聖書には自分がどのように生きるべきかハッキリ記されているからです。今はしっかりと生きがいを感じながら生きられるようになりました。